アカデミー賞の前哨戦として数えられるゴールデングローブ賞の受賞式が行われた。賄賂や多様性の欠如などが露呈して、トム・クルーズがトロフィーを返却したり、昨年はテレビ中継が中止になったりしたが、今年は平日の夜に移動しつつも例年通り放送され、スターや有名監督たちが出席した。
今年の映画賞レースでトップを独走しているのが、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のミシェール・ヨー。ましてや多様性でバッシングされたばかりのゴールデングローブ賞だけに、予想通り彼女が受賞した。
予想はしていたものの、やはり彼女の受賞は嬉しかった。そして、受賞スピーチは彼女のガッツあるスピリットを垣間見ることができた。スピーチ半ばで、時間切れを知らせる音楽が流れると、「お黙り! ボコスコにするわよ。ホントよ」と発言。カンフーアクションの使い手である彼女は、実際にボコスコにできる。ガールズパワーに嬉しくなった。
スピーチでは、自身が経験したハリウッドでのアジア系に対する差別的な言動について触れた後、還暦後の主演賞の受賞への驚きなど、聞きながら筆者も「うんうん」と頷いた。
ハリウッドでの女優の主演枠は少なく、特に中年以降の女優の主演というのはもの凄く限られている。年齢だけでなく人種と性差別は、ハリウッドのみならず世界中に現実的に存在している。
受賞後のインタビューでも、「アジア系が透明な(人種差別の)壁を忍者キックでぶち破った」と言ったり、「本作(『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』)の素晴らしいところは、これまで誰も注目したり耳を貸したりしなかった移民の中年女性の心の声を描いている点」と話したりしている。彼女のスピリットに称賛を惜しまずにはいられない。
私がミシェール・ヨーのファンになったのは、まだ彼女がミシェール・キングという芸名だった頃。1992年のジャッキー・チェン主演作『ポリス・ストーリー3』で初めてその存在を知り、優雅で切れのあるアクションに惚れ惚れした。
やがて、アクション映画だけでなく、ドラマ作品にも出演して演技力を実証。そして、『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』で史上2人目のアジア系のボンドガールに抜擢された。以降、ハリウッド作品にも出演するようになり、50代に入ってから『スタートレック』シリーズで船長役を演じるなど、同じアジア系として、彼女の活躍を自分事のように嬉しく思っていた。
芸者を演じた『SAYURI』(2005年)では、着物の着こなし、日本人の作法、優雅な身のこなしを完全に体現し、他の中国系の女優の雑な演技と対照的だった。
そんな憧れのミシェールには、何度か取材したが、2016年に映画『Crouching Tiger Hidden Dragon: ソード・オブ・デスティニー』の時には念願の独占インタビューをすることができた。
『SAYURI』で受けた感銘を伝えると、頬を赤らめて喜んでいた。アジアの大スターでベテラン女優の彼女は、いわゆる他の多くの女優にありがちな「私、女優よ。あなたとは違うの」という気配は一切無いどころか、ものすごく謙虚で親近感があり、また、真摯で正直なリアクションをする、とても人間らしい魅力に溢れた人という印象を強く受けた。
あれから6年後の昨年4月、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 の特別試写会で彼女に久しぶりに会った。
「以前、何かのインタビューで、あなたの『SAYURI』の演技について話したのが私です」と言うと、「あなたからいただいた称賛は今でも覚えていて、励みになっています。とても嬉しかったです」と目に涙を浮かべて答え、両手をしっかり握りしめてくれた。
そして、近くのソファーを指差して、「あそこに一緒に座って話しましょう」と言って、密着して座り、当時の話や新作映画について、いわゆる「おしゃべり」を楽しんだ。バレリーナを目指していただけに姿勢が良く、また、加齢によるたるみなど微塵もないスラリとした体型と美貌、そして、全体から滲み出る親しみやすさはまったく変わっていない。
アカデミー賞はコメディーとシリアス(ドラマ)で枠が分かれていない。そして、コメディー映画の受賞確率は格段に低い。コメディー映画ながら号泣させられるラストが待っている本作が、頭の硬いシニアなアカデミー会員をどれほど魅了するか分からないが、ミシェールの受賞を心から願っているのは私だけではないハズだ。
はせがわいずみ