実家の神社(松江市にある出世稲荷神社)の夏祭りは毎年6月9日と10日。
今年は久々に境内イベントを行うし、コロナもやや落ち着いてきたので帰省することにした。同窓会のグループチャットに帰省と夏祭りのお手伝い募集を投稿したところ、コロナにかかった/かかっているというレスがありおべた(出雲弁:驚いた)。
5月からコロナはインフルエンザと同じレベルになる。GWで再び蔓延しないように……という思いを込めて、今回は、コロナ検査について書こう。前編はコロナ禍当初の状況・検査、後編は、アメリカの状況だ。
3年前のコロナ禍が始まった当初、ロサンゼルスでは、PCR 検査は保健所が開設した限定場所でのみできた。しかも無料!
うちの一番近くはUCLA近くの軍の病院(の駐車場)のドライブスルー検査場だった。
ネットで予約し、自動車教習場のコースのようにコーンが置かれている駐車場をグルグルした後、車の窓越しに受付(マスクを着けたまま離れた係員に名前等を言うので叫ばなければいけなかった)。キットを渡され、車内で自分で唾液を拭ってプラスティックの試験管に入れて蓋をして、袋の封をしたら、ゴミ箱のようなボックスに「ポイッ」だった。
ちなみに、この検査料は無料で、結果はスマホのショートメッセージで来た。2020年8月のことだ。
翌年の2021年4月、母の帰幽で急遽帰省することになった。
日本政府指定の陰性証明がすぐに必要で調べた結果、幸いなことにうちの近所に200ドル(約2万円)で検査&日本指定の書類にサインしてくれるところがあった。「高いっ!」と思いながら、検査して日本政府指定の陰性証明を出してもらい、帰省した。(指定じゃないとNGというのも面倒だった)。
余談だが、この時、日本政府は「いかなる事情があっても、国外からの渡航者は公共交通機関の使用禁止」としていたため、友人に羽田空港から松江までレンタカーを借りて運転してもらった。国際線からの乗り継ぎだと、羽田と山陰間の航空チケットは通常1万円程度で済むが、レンタカー代は11万円也……涙。
当時、ロサンゼルスでは、店内飲食は禁止、スーパーも入店制限、試写会はおろか、記者会見もプレミア上映会も中止で(映画館が閉まっていたし)、ほとんど外出しておらず、外出時のマスク着用は必須だった。
渡航前、到着空港ともに検査結果が陰性の私は、日本人の中でもかなりセーフな状態だったのにも関わらず(!)、公共交通機関の使用はNG!
途中のサービスエリアで店内飲食しなければならず、もの凄く怯えたのを覚えている。1年近く外食してなかったし、マスクをしてない人がほとんどだったから……。
そして、松江に帰省してビックリ仰天したのは、マスク無しの人で飲食店が大賑わいだったこと。私は2週間、実家から徒歩2分のホテルでほぼ隔離状態だったのに……。陰性の私は隔離で、保菌者かもしれない人達は平気で飲み屋に出入りしていて、その飲み屋に何の恐怖も感じずに飲みに行っているという感覚に、海外から帰省した私は唖然とした。
ロサンゼルス便で到着した羽田空港では、乗客を集めた部屋でスマホに指定のアプリをダウンロードするよう勧告され、スマホがない人の為にレンタルコーナーまで用意されていた。普段スマホを使っている私は渡航前にアプリをダウンロードしていたが、それでもイマイチ分かりにくいアプリに少しまごまごした。スマホを使ったことない人には不可能な条件だと思い、気の毒に思った。
刷り物大好きな日本らしく、冊子と検査キットを渡された。自分で唾液を試験管に入れ、渡した後、アプリや位置情報がオンになっているかをチェックされ、担当者が一つ一つ確認してハンコを押す。提出したメールアドレスが正しく送受信されるか、また、スカイプのアカウントが正しいかを確認後、それらのリストを回収。パスポートのスキャン、誓約書の回収の後、フロアを移動し、検査結果が出るまで待合スペースで待機した。
陰性結果が出ると「行って良し」で、入国審査エリアに移動する際には国内線の搭乗客とすれ違う場所もあり、「それでも国内線には乗ってはいけないんだっ!怒!」と理不尽な気持ちでいっぱいになった。
ホテルに着くと、保健所から確認の電話。そして、毎日、アプリで体調報告をし、位置情報確認のメッセージが届くとレスポンスをするという日々が2週間続いた。
アメリカに戻る時のPCR検査は出雲の医大病院で受けた。羽田空港、医大病院ともに、検査場にレモンと梅干しの写真があるのが「さすが、日本!」だ。ただ、梅干しは日本人と一部の外国人以外は通用しないけど……。
医大病院の陰性証明はもの凄く不便だった。なぜなら検査結果は、メールではなく、実際に取りに行かなければいけなかったから。「メールでお送りできるシステムがない」と言っていた。そのため、出雲まで2度往復した。しかも、病院の受付に着いたら、結果が遅れていると知らされ、出雲で時間を潰さなければいけなかった。
折角だから、たまたま同じ病院に来ていた友人と再会し、親戚に会い、市長になった友人にアポなしで挨拶に行ってみた(案の定、会議中で会えなかったけど……)から、それはそれで良かったけどね。
でも、何よりも「怒っ!」だったのが、受け取った「陰性」証明のどこを見ても「陰性」と書いてなかったこと!!「陰性」証明なのに「陰性」と書いてなければ飛行機に乗れない。何より検査を出雲まで受けに行った意味がない!電話すると営業時間外で、留守電になっていた。番号は携帯だったので、留守電とショートメッセージを残しまくって、やっとの思いで連絡が取れたが、もう出雲に行っている時間はない。「何とかしてemailで送ってください」と言うと、簡単に「はいできますよ」という返事。「陰性」と書かれたpdfがメールに添付されて送られて来た。
「何だ、できるじゃないか!」と思って、印刷しようとして気づいた。検査施設の印鑑、または、担当医師のサインが抜けている。それがなければ偽造できまくりだ。再び、留守電、ショートメッセージの嵐をして、「陰性証明」として通用する「陰性証明」をリクエストした。
一体、どげなっちょうや!だったが、何とか予定のフライトに搭乗できた。
次回「コロナ検査 後編」は、その後のアメリカでのコロナ検査について紹介しま〜す。